みなさん、こんにちは。
数学愛好家の AkiyaMath です。
今回は、本サイト「数学自由研究所」の管理人かつ執筆者である私の自己紹介をしたいと思います。
(サイト名は、「数学の自由研究所」を経て、現在は「数学の時間」となっております。)
見ず知らずの人に興味を持つことはないと思いますので、本記事は誰かに読んで欲しいと言うより、自分自身の人生を見つめ直す良いきっかけになるかなと思い執筆しています。
そんな私がどんな人間か、少しでも気になった方がいらっしゃいましたら
- 現在
- 過去
- 未来
の順で書いていますので、是非、読み進めていただければと思います!
今現在の私の生き方。
塾講師という立場
私は普段、塾講師という立場で子供たちのサポートをしております。
教科の指導はもちろん、子供たちが将来夢を持ったとき、“その夢を叶えようとするときに活きる何か” を提供したいと考えながら、日々過ごしています。
「数学は将来使わないから…」
そんな言葉を耳にしたことのある方は少なくないでしょう。確かに、知識は抜け落ちてしまうかもしれません。(私も、ずっとやっていなければ忘れます。)
その上で、私は知識が抜け落ちたときに何を残してあげられるかを意識しています。それは、所謂 “論理的思考力” や問題を解決するための “分析・計画力” かもしれませんし、もしかしたら「授業は楽しかったなあ」という “思い出” かもしれません。
私は表も裏も数学が好きですが、みんなにそれを強制しようとは思いません。生き方は人それぞれです。ただ、私が関わった人たち各々の人生を豊かにするため、数学と接することによって “個々に応じた何か” を得る機会を与えられたらなと思っています。
数学を発信する立場
さて、私は “数学愛好家” を名乗っていることからもおわかりいただけるように、数学と親しみたいという気持ち、もっと言ってしまえば
「数学で楽しく遊んでいたい!」
という想いがあります。
今までは、大学や大学院の関係者を中心に、周囲にいる方々と数学を行なってきました。また、現在は講師として生徒とも算数や数学を楽しんでおります。
他方、自由に開かれた空間で数学をしたい、発信・共有してみなさんと数学を学び合いたいと考え、本サイト「数学自由研究所」を含むSNS等での発信を行なっております!
是非、のぞいてみてください。
ありのままの呟きをしています。ここが私の素が出る場所だと思います。→ @AkiyaMath
YouTube
「留数定理の実積分への応用」や「数検1級対策の線型代数学」などのシリーズものから、単発のテーマの動画まで扱っています。
しかし、最近の投稿頻度はかなりマイペースです…。→ AkiyaMath
こちらは、主に積分計算などを英語で投稿しています。
どこにもやりようのない(?)問題を発散しています…笑 → akiyamath.mathlover
代数学と共に過ごした学校生活。
私の学校生活を語るには「代数学」がなくてはならない要素となります。次の記事で述べている代数学の語源を含む歴史を踏まえると、以下で述べる私の学校生活の “歴史を辿っている感” を感じていただけるのではないかなと思います。
小学時代 〜かけ算の順序問題〜
私は算数が苦手でした。最初にぶち当たった壁は、2年生で学ぶ「九九」です。
とにかく覚えることができませんでした。暗記を前提とした確認テストにはなかなか合格できず、小学2年生ながら放課後まで居残りをさせられたことを覚えています。
そもそも “結果を暗記するもの” として出会ってしまったため、しんどかったのかなと思います。
今後の学習が進んでゆく上で「九九が素早くできないから◯◯が苦手」となってしまうのは勿体ないと思うので、結果を覚えることは否定しません。 私が指導するときは、かけ算に触れる機会を普段から散りばめて、“結果的に覚えてしまう” という状況を作ろうと心がけています。
各々の機会のシチュエーションが異なるイメージを与えますし、可換性や \(9\) の段の法則性に自ら気づいたインパクトなど、とにかく印象に残すことを意識しています。
結局、未だに \(7\times 3\) を見ても頭の中では「さんしち」と唱えています。
当時、頭の中では \(21\) 個の玉が長方形状に整列していて、それを縦から見るか横から見るかの違いだと思っていたため、「 \(7\times 3\) を計算したい!」と思ったときに
整列する玉だから \(3\times 7\) も同じ答え…。
お、\(3\times 7=21\) はわかるぞ!
つまり、\(7\times 3=21\) だ!
といった具合に、“わからないものをわかるもので解決する” という工夫をする方向に頭を使っていました。
これは、代数学的に言えば「有理整数環が可換環である」という性質を利用した考え方ですね。
このあたりは、所謂 “かけ算の順序問題” に関連してくるのだと思います。ここで深入りはしませんが、私自身も無関係ではなく、
「1 チーム 9 人の選手がいる野球チームが 8 チームある。選手は全員で何人か。」
のような問題で、最終的な人数は合っていましたし、「まずチーム数 \(8\) を数えて、それぞれに同じ \(9\) 人がいるから…」と自分の解釈も説明しましたが、「教えた順序と違う。」と言われ不正解になった思い出があります。
そのような経験から、算数は嫌いじゃないけど得意でもないという状態で小学校を卒業しました。
中学時代 〜連立方程式というパズル〜
そんな算数(計算)に苦手意識のあった私ですが、中学で数学と出逢っても突如として数学好きになったわけではありません。
中学1年生までは \(2x-3=7\) という数式を
\(2x-3\) を計算したら、
答えは \(7\) となる。
としか捉えられていませんでした。つまり、私の頭の中で等号 “\(=\)” は、左辺が「問題」で右辺が「答え」という “対等ではない関係” を結んでいたのです。
2年生になると連立一次方程式を学びました。そこで、文章問題を解くとき、文章をそのまま解釈して立式したところ \(3x+50=7y-90\) のようになったのです。これが、私の中の
左辺が「問題」で
右辺が「答え」という
“対等ではない” 関係
をぶち壊しました。等号 “\(=\)” が上皿天秤の支点となり、
左辺と右辺に乗っている
同種のモノが釣り合っている
“対等な” 関係
という感覚になったのです!!!
これが、私の中で【 数 学 革 命 】が起きた瞬間でした。1年生まで理解できていなかった「移項」の計算も
右の皿から \(4\) をなくしたら、
右の皿が “\(4\)” だけ軽くなるのだから、
左の皿から \(4\) 引けば良いじゃん!
と腑に落ちたのです。まさに、代数学の語源であるアラビア語 “al-jabr”(「移項する」という意味でしたね。)が脳に浸透した瞬間でした。
今思えば、1年生の一次方程式の文章題でも革命のチャンスはあった気がしますが、きっと複数の文字が出てきたことによる刺激(?)が必要だったのでしょう…。
これ以降、連立一次方程式をはじめ、数学という教科が “ルールの整ったパズル” のように感じられるようになりました。
高校時代 〜行列という別世界〜
高校数学には、以前は「数学C」という科目が存在していて、そこに「行列」という分野がありました。(数学Cという科目は2022年度入学生の課程から復活しますが、行列は削除されたままですね。そればかりか…。)
行列とは、数を長方形状に並べてひとまとめにして扱い、それらに対して一括で様々な操作をしてしまうことができる便利なツールです。
そんな行列のうち、正方形になっているものの中には零行列 \(O\) と単位行列 \(E\) という特別な行列があります。
- 零行列は “足しても数を変えないモノ” すなわち \(A+O=O+A=A\) なる \(O\) として定義されます。
- 単位行列は “かけても数を変えないモノ” すなわち \(AE=EA=A\) なる \(E\) として定義されます。
高校の授業では
- 行列の世界における零行列 \(O\) は、数の世界における \(0\) のようなもの
- 行列の世界における単位行列 \(E\) は、数の世界における \(1\) のようなもの
などと説明されました。
私は当時、漠然と
別世界にも \(0\) や \(1\) の対応物があるなんて!
と驚いていましたが、この説明の背景には、やはり抽象代数学があるのです。
上で紹介した記事で \(0\) や \(1\) を含む整数全体は環をなしてると説明しましたが、なんと、正方形の行列全体も環をなすのです!
ここで詳細は述べませんが、環という構造を定める公理には “加法単位元” と呼ばれるモノと “乗法単位元” と呼ばれるモノの存在が要請されています。整数において、それらは \(0\) と \(1\) であって、正方形の行列においてそれらは \(O\) と \(E\) であるのです!
つまり、環における抽象的な概念である加法単位元と乗法単位元が
- 「整数の世界」に現れるか。
- 「正方形の行列の世界」に現れるか。
という関係性にあったのです。
大学時代 〜線型代数学の価値〜
高校数学までの代数学は、西暦1900年代以前の抽象的ではない代数学が中心でした。大学に入ると、漸く抽象代数学を学ぶようになります。その第一歩が「線型代数学」です。
線型代数学の大きなテーマはふたつあります。
- 行列などを用いて「連立一次方程式」について調べること
- 高校数学のベクトルを抽象化した “ベクトル空間” について調べること
“ベクトル空間” とは “加法という演算とスカラー乗法(定数倍)という演算が上手く定義されること” のみが要請されているので、数学の至る所にその構造が登場します。
数自身はもちろん、数を用いて定義されるベクトルや行列、数列、関数などによってベクトル空間を構成することができます。
そんな多種多様な分野に適用できる理論である線型代数学を初めて学んだときは、そこまで適用範囲の広がりを意識できていませんでした。しかし、大学3年、4年、大学院と学びを進めてゆき、数理科学の広大さを感じる度に線型代数学の価値が自分の中で上がってゆきました。
線型代数学は何度も学び直していますが、その度に新しい気づきがあります!
大学院時代 〜分類できる気持ち良さ〜
大学院に進学し、私は “リー代数” について研究を行いました。
「研究」は誰かに教わる今までの勉強とは異なり、自分でテーマを設定し、自ら行動を起こして学習を進めてゆくものです。
ここまでお伝えしてきたように、私は(意識はしていませんでしたが)代数学と強く触れ合いながら数学の勉強を行なってきたことからも想像がつくように、その「代数的な構造を探る」ということに興味を持っていました。
特に、上で紹介した記事でご紹介したように
同型写像の存在条件を決定し、
研究対象を構造で分類したい!
と思うようになったのです。
そこで、結果が美しいことで有名な “分類定理” があるリー代数の分野において「その分類を、少しでも自分なりに一般化しよう」というモチベーションでテーマを決定し、研究に臨みました。
分類することは楽しいです!
そう感じるのは、私が数学以前に持っている、規則正しくしていたいという性格にハマっているからかもしれません。対象を分類して、構造別に整理整頓できると気持ちが良いのです。
この
分類を通して対象の構造を理解し
整理整頓できること
が、私を惹きつける代数学の魅力の一つです。
その後、修士論文をなんとか書き上げ、大学院を修了しました。博士後期課程には進学しませんでしたが、私が行なった分類には類似する(一般化され尽くしていない)分類があったため、そのまま研究を続けるとしたら次なる分類を行なっていたかもしれませんね…。
今後、何を目指して生きてゆくか。
やりたいこと。叶えてほしいこと。
人生の主人公は自分自身です。自分の人生が終わりを迎えるとき、満足して幕を下ろすことができる人生を送りたいわけですが、私がやりたいことの共通したテーマは
子供たちのサポートをしたい!
ということです。
また、今まで多くの人たちと関わってくる中で、みんなにこうであって欲しいなという想いも出てきました。言葉にするなら
各々が自分の力や個性を発揮し、
楽しく生きて欲しい!
という感じでしょうか。
今の自分が目指すもの。
自分自身も “みんな” の一員ではあるので、私自身も能力や個性を発揮するような生き方を目指したいところです。
私は数学が好きですし、能力的にはまだまだ修行中ですが、自分が経験してきたことには自信を持っています。それを加味すると
子供たちに対して、自分の好きな数学と、
自分の経験を活かしたサポートをしたい!
という想いを持つようになりました。
では、具体的に何をするかを考えるわけですが、数学に対して求められていることも考えると
- 何をするにしても、基盤として一緒に数学を純粋に楽しむ。
- 数学の勉強を通して “考える力” などのトレーニングを行う。
- 志望校への合格など、夢に実現に向けて指導を行う。
ができたら良いなと今は考えています。
何はともあれ、目指す方向は決めますが、目の前にある「できること」を着実にこなして、いつの日か「やりたいこと」に辿り着けるよう愚直に努力してゆきたいと思っています。
最後にひとこと。
今回は、私の自己紹介と自分自身を見つめ直すきっかけを兼ねて、長々と綴ってきました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
最後にひとこと
私は数学が好きです。
自分が何かを好きになったとき、その気持ちに素直に従いたいものですね!
今後とも、よろしくお願いします!!
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