みなさん、こんにちは。
数学愛好家の AkiyaMath です。
数学を教えていると、問題集や参考書、記述模試・テストの模範解答を指差して
なぜこうしないといけないんですか?
と尋ねられることがあります。私の頭の中では
“こうしないといけない” なんてどこに書いてあるんだい??
と、疑問符が駆け巡ります。
勿論、真剣に尋ねてきているわけですが、今回は何故そのような思い込みをしてしまうのか紐解いてみたいと思います。その根底には、数学に対するイメージ・認識の差異があるのではないかというお話です。
「答えが一つ」に決まる数学が好き!
数学が好きな理由に対して “答えが一つに決まるから” という理由を目にしたことがあると思います。そのせいもあってか、
「数学」=「答えが一つに決まる学問」
というイメージを持っている方も少なくないでしょう。そのイメージは間違いではないと私は思います。数学という学問は、数学的な主張に対して ◯ か × かの判断が必ずなされるという前提の下で議論されますので “△” はあり得ないのです。つまり、
- ◯ であるとは、× ではないこと。
- × であるとは、◯ ではないこと。
です。その意味で
「数学」=「真偽が定まる学問」
と言えるかもしれません。
数学は「学問」であって、幾つもの「理論」によって構成されます。主に大学以降ではそれらを学びますが、高校まででは「教科」として数学を学びます。その際、数多の問題が出題されますが “解答され得る事柄のうち主張が真になるもの全て” を問題の「答え」と考えるため、“答えが決まる教科” となるわけですね。
そこで、答えが “一つ” に決まるとは何なのかという疑問が生じます。例えば、二次方程式の解 $$x=1,2$$ も “一つ” の答えと考えるのでしょう。恐らく、その “一つ” とは
個人の解釈に依らないこと
を意味するのだと思います。それは解答欄に書く値の個数とか、文章の長さには関係がないものだと思います。
これらの特徴を有するものが数学だけであることを証明しない限り “=” は言えないわけですが、
「答えが一つに決まる」ということは
数学という教科の大きな特徴の一つである
ことは間違いないと思います。
答えまでの道は「一本道」なのか?
数学の問題を解く際に、答えが “一つ” に決まることは見てきました。では、
その導き方は何通りあるでしょうか?
答えが一つに決まる学問である数学に対して
- 問題から答えまで一本道が伸びている。
- 寄り道や回り道が許されない。
- 外れられないレールが敷き詰められている。
- ガチガチなルールが定められて行動が制限されている。
といったイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれません。特に、冒頭で紹介した、模範解答を片手に持って「なんでこうしないといけないんですか?」と質問する生徒はそうかもしれませんね。そのような生徒の中では
「模範解答」=「絶対的な解答」
という認識なのかもしれません。この認識は変えるべきだと思います。模範解答は確かに手本にはするべきですが、決して絶対的ではなく、数多ある解答方法の一例に過ぎません。簡単に言えば
“良い解答例”
です。良い解答例と同じ解答であることは「マルをもらうために十分な条件であるかもしれないが、必要な条件ではない」ということに注意しなければなりませんね。
「正しいこと」を積み重ねること。
前半に、数学は「真偽が定まる学問」であると述べました。ここで、
\(p\) という仮定から、
\(q\) という結論が得られる。
という主張が正しいことを証明したいとき、その目的・文脈に応じた程度の細かさの段階を踏んで議論を進めてゆきます。正しいからと言って
\(p\) ならば \(q\) である。
とだけ書くのは必ずしも適切ではなく
\(p\) ならば … なので \(r_1\) である。
\(r_1\) ならば … なので \(r_2\) である。
\(r_2\) ならば … なので \(r_3\) である。
\(r_3\) ならば … なので \(q\) である。
のように「正しいこと」を積み重ねることが重要なわけです。逆に、
「正しいこと」を積み重ねれば、
何をしても「正しさ」が保証されている
のです!
模範解答と自分の解答を見比べて、途中の式や理論の展開が異なったときには「なぜ模範解答の通りにしなければならないのか」と考えるのではなく「自分の解答は正しいことを積み重ねることができているか」を先生や知識のある人と一緒に確認するべきでしょう。
その際、自分以外の人に質問を投げかけることになりますが、“質問の仕方” については以下の記事をご覧下さい!
模範解答を眺めるとき
「正しいこと」を積み重ねれば、
「答えまでの道のり」は何通りもある。
ということは忘れてはいけませんね。
最後に。
私が持っている数学のイメージは上で紹介したものとは対照的で
- 問題から答えまで何本もの道が伸びている。
- 寄り道や回り道はいくらでも許される。
- 正しいことの積み重ねによって自分でレールが敷ける。
- 最低限のルールを守れば思い通りの行動ができる。
といったものです。
定期試験や入試、検定試験などの目的を持った学習の場合に “そんな余裕はない” と言われてしまったり、行動が制限される部分もあるかと思います。
しかし、数学本来の学問としての姿を考えるに
数学は
もっと自由だ
と私は思います。
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